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猫の神性

2015.02.03.15:29

鎌田東二さん(京都大学こころの未来研究センター教授)の著書、「神道のスピリチュアリティー」より、こんな一節があると友人が教えてくれました。

わたしの家では、生まれつき眼球のない猫を飼っている。オウム真理教事件のあった八年前、近所のゴミ捨て場にビニール袋に入れて5匹の生れたばかりの猫が捨てられていた。それを拾ってきて、育ててきたが、やがてどの子猫も目が悪いか眼球を持っていないことがわかった。獣医さんは「この子猫たちは育ちませんよ」と諭すように言った。

確かに獣医さんが言ったように、その内のオス猫三匹は若くして死んでしまった。だが、奇跡的に二匹のメスの三毛猫は生き残った。眼球はあるが、片目が白濁して見えない「モモ」は貰われていって今も元気に生きている。そして生まれつき眼球のない「ココ」だけがわが家に残った。

しかし、目がなくとも家の中で不自由することはない。触覚や聴覚など、視覚とは異なる感覚器官がとても繊細に発達し、その上、人の顔色をうかがうということもないので(できないので)、まったく純真無垢である。「ココ」は捨て猫ではあるが、小さい頃からいじめられたことが一度もない。その警戒心も恐れも不安も持たない状態が、どれほど優しさと素直さと平和に満ちた、柔らかな世界であるかを教えられる。

目のある猫は、視覚判断によって「敵」を認知し、威嚇したり、逃げたり、防衛したりする。しかし目のない「ココ」には一切そういうことがない。彼女には「敵がいない」のだ。そして、敵対するものもない。「ココ」は威嚇することも知らず、逃げることも、防御することもしない。ただひたすら軟らかく、静かで、親密である。威嚇する他の猫にも擦り寄って行って、相手が嫌がっても、根負けして諦めて威嚇するのを止めるまで擦り寄ってゆくのを止めない。そして終には、一緒のバスケットの寝床の中に入って肌を擦り合わせて眠るまでになる。

その姿は貴く、気高さと神性を感じる。「無為自然」を生まれながらに地で行く天然のタオイストであるかのようだ。初めは威嚇して決して近寄ることのなかったもう一匹のメスの老描「チビ」が一七歳で死んでゆく時、その最期を看取り、老衰して痩せ細った「チビ」のからだをひたすら舐め続けたのが「ココ」だった。その姿を涙と崇高な気持ちなしに見ることはできなかった。心からその姿に手を合わした。

まったく敵意を持たない存在こそが「敵」を作らずに生きることができることを「ココ」はわたしに教えてくれる。もっとも弱きものが。知らず知らずのうちにもっとも強き者であったという生の逆説を彼女は告げている。

「ココ」という名の八歳のメス猫に、五十二歳の人間のわたしは、いつも自らの愚かさと野蛮さを思い知らされているのだ。わたしにとってこの「ココが」生の導師であり、「グル」なのだ。

動物の気高さと品格を人間は本当に真剣に見習うべきであると心から思う。

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こんばんわ。猫好きです。

2015.02.03.23:47

最近、フェリシモから飛んできて、読者登録させて頂きました、
西宮在住の4にゃんこの下僕です。
素敵なお話、ありがとうございます^^
また楽しみに読ませていただきます!

Re: こんばんわ。猫好きです。

2015.02.04.13:14

こんにちは、ゆてさん。
読者ご登録ありがとうございます。
西宮、ご近所さんですね。
これからもよろしくお願いいたします(=^・^=)
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岩津麻佳

Author:岩津麻佳
神戸でアニマルコミュニケーションしてます


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