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ちーちゃんありがとう その5

2022.09.25.16:42

生きているだけで、存在しているだけでありがたい。
まさに「ありがとうの存在」

ちーちゃんやうちの家族だけでなく、クライアントさんの家族や道行くお散歩中のわんこ、地域猫、近所の馬やいのしし、野鳥、出会う生き物すべてにそう思う。
健康や不健康、良し悪し、善悪などの付随したことや一部分ではなく、本質や魂的に「ありがとうの存在」
もちろん人間も。
どんな人も誰かの「ありがとうの存在」
人間にも本質には良い悪いはなく、存在しているだけでOKな動物たちとなんら変わらない生き物。

最近しみじみ腑に落ちるような体感する出来事があり、とても気が楽になりました。
私に対しても動物たちに対しても他者に対しても。
ありがとうの存在だけで成り立ってる地球って楽園じゃないですか

ちーちゃんの置きお土産のひとつの種は、こんな所で花が咲きました
忙しいちーちゃんには直接話しかけられないので、ここで報告します

くーちゃんとちーちゃん
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ちーちゃんありがとう その4

2022.07.22.17:14

ちーちゃんが動物病院で亡くなり、連れ帰ってからのこと。
ちーちゃんの亡骸から強烈で濃厚な匂いが放たれ始めました。お花とお紅茶が混ざったような華やかで香しい匂い。
亡くなって悲しみの真最中にこんなに華やかな匂いに包まれ、悲しいけれどちーちゃんにずっと包まれているような、ちーちゃんの胸の中にいるような不思議な気持ちでした。
むせ返るような濃厚な匂いは家中にみっちり充満し、その大元であるちーちゃんはと言うと、甘く良い香りだけれど強烈な匂いではなく、でも確かにちーちゃんから放たれている。一体何が起こったのか。。。
匂いは移るので、私だけでなく猫の被毛もちーちゃんの匂いになり顔を埋めて嗅ぎまくりました

生前も匂いが無くなるほど吸ってました 日によってチョコレートのような甘い香り、粉っぽいおしろいの香り、ハチミツの香りととにかくいい匂いだったちーちゃん♡
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今だから笑えるあそびんの行動も聞いて下さい。
ちーちゃん旅立ったよ、と猫たちにも最後のお別れをとちーちゃんを見せた瞬間、あそびんがちーちゃんの首に食いつき首がぐにゃり… ひ~~~!と絶叫し取り返そうとするも咥えて離さない。
無理に引っ張ったら首がもげるので、少し口の力が緩んだ隙を見て素早く奪い返しました 大汗かいた事件です
一度ちーちゃんを噛んだあそびんは、興奮しすぎてマズルが膨らんでパンパン!ちーちゃんはすぐに避難させましたが、ちーちゃんを返せ、ちーちゃんを出せ、と執拗に私にまとわりつき、大興奮で何を言っても耳に入らない状態。しばらく別室に籠ったら(私が)落ち着きました。
ちーちゃんを咥えたあそびんの口元から濃厚なちーちゃんの良い匂いが放たれ、複雑な心境でした。ちーちゃん、無事に奪い返せて良かった
狩猟本能の強い猫にはセンチメンタルは一切通じないと学んだ事件でした。。。

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ちーちゃんハウスがあったスタンド。今ではあそびんの一番のお気に入りの寝床になってます。

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「ここ、一番いい場所だからずっと狙ってたんだよね」と言ってるとか言ってないとか
このスタンド。そう言えばこれは処分してないです。今の家に引っ越す時に、猫が飛び掛かってもハウスもスタンドも倒れないものを設計士さんに作って頂きました。スタンドにセンチメンタルな思いは無いのであそびんの寝床として今後も使おうと思います

お水浴び後の笑顔のちーちゃん
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ちーちゃんが旅立ってから、思い出すのはこの笑顔。
ちーちゃんはいつもいつも笑顔でした。笑顔でご機嫌な家族がいることのすばらしさ。この笑顔が私だけでなく、どれだけの人を笑顔にしてきたことか。ちーちゃんの笑顔は私を笑顔にしてくれ、私の笑顔は誰かを笑顔にする、その誰かは更に誰かを笑顔に。ペイフォワードの法則です

動物と一緒に暮らすということは、その動物の命を共有し命を頂いているようなものと私は考えます。
なので旅立った後は、頂いた命を余すことなく活かせるよう私が精いっぱい寿命を全うして生きる事。これがその子に対する最大の恩返しなのではないかと思います。特にちーちゃんは私を救済してくれて、いつも笑顔で何でも受け入れてくれました。ちーちゃんのしてくれたことも受け継いでいきたいと思っています。

動物達は自分の為や仲間の為、地球の為に生まれ、生きていますが、人間と暮らす生き物の大きな目的や喜びは、共に暮らす人の笑顔であり、その人がその人らしく生きること。
動物達はいつも私たちに合わせ、寄り添い、愛してくれています。愛するということは感情をはるかに超えたものです。良いも悪いもなく、好きも嫌いもなく、その人の全てを、その人の真髄を信じ愛してくれているのです。

ちーちゃんと暮らしていた時もそれは感じていましたが、亡くなってからより一層感じるようになりました。
ちーちゃんに対しては好きとか愛しいという感情だけではなく、ただただ感謝の思いでいっぱい。

今後の私に言いたい事、忘れないようここに書いておきます。
どうか後悔の無いように。特に病気や不調になると、この時代は多くの情報に左右されがちです。その中で、本当の自分はどうしたいのか。これがいい、あれがいいと聞いたから、獣医さんにこう言われたから、こうするべきああするべき、皆こうしてるから、ではなく自分がどう見送りたいのか。
どんな最期にしたいのかと考えると、おのずと今自分がしたいことがわかるかもしれません。
こうしなきゃ、こうするべき、ではなく私はどうしたいか。動物たちは人の笑顔が最大級の喜びの一つでもあるので、あなたがこうしたいと本心から望み選んだことに反対はしないはず。

ちなみに私は、最期についてはその子の望みが私の望みなので、今回のようにちーちゃんに聞いて彼の思い通りにできたので理想的なお見送り。後悔がありません。話し合って決めたい場合は、お近くのアニマルコミュニケーターを頼るのも一つでかと思います

今回は幸運なことにちーちゃんとちゃんと話して意思を聞く時間がありましたが、そんな時間もない急な旅立ちもあります。
どんな人も動物も、生きている限り当たり前に明日があるわけではないので、今したいことは今する。当たり前ですが、今は今しかなく、今は瞬時に過ぎ去っていきます。動物にも人にも、伝えたい時に伝えられることは幸せです。
今を感じて今を大切にしていれば、迷うこともぶれることもないのかもしれません。
過ぎ去った過去を悔んだり、後悔を元にこの先を怖がったり、将来を想像して不安に思ったり、全て今を見逃している行為で今を生きていません。現実を見逃してる。想像という夢の中で暮らしてる。この今という輝かしい瞬間から目を逸らすなんて、感じることを拒否するなんて、なんともったいない!はい、自分に言い聞かせてます

いつもお見送りの後に思います。
おはようって笑顔で言えることほど幸せなことはないと。
おはようを言える相手が存在していること、自然と笑顔になる心の健やかさがあること。このふたつは私にとって奇跡的なことです。
もちろん家族だけでなく、友人にも職場でも学校でも旅先でもどこでもこうした私でいられることは奇跡的な幸せ。

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「君の志を大切にね」

旅立ちからしばらくはこうして書ける日が来るなんて思いもしませんでしたが、ある時、書こう、書きたい、聞いてほしいという気持ちに変わり、確かに私は歩みを進めているのだと実感しほっとしました。日にち薬と言いますが、まさにその通りですね。
話があっちこっち、まとまりのない文章になりましたがこれも今の私の頭と心の状態そのものとしてこのまま残したいと思います
ちーちゃんについて、1から4までお読み頂きありがとうございました

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「またね!」

ちーちゃんへ
ちーちゃんに頂いた命、助けてもらった命、存分に楽しんで最高の人生だった。地球に生まれてきて本当によかった!って最期に言えるよう生きます。
ありがとう、ちーちゃん。

ちーちゃんありがとう その3

2022.07.20.16:02

ちーちゃんを荼毘に付し、ちーちゃんの使っていたものは何も残さないことを選びました。
今までもそうでしたが、見送った後お骨やお位牌や使っていたものがあるとたぶん私はそこに思いを向けてしまい、感情に浸り、「その子を感じる」ことをしなくなるのが怖いからです。
目にしたり触れることのできる物ではなく、その子を全身で感じる為に、思いを大切にする為に、とことん死を受け入れ感じる為に、私は今回もそれを選びました。

荼毘に付して帰宅すると、本当にいなくなったんだな、、、という現実を実感し始めました。
ちーちゃんは私の太陽でした。太陽が消えた暮らしに慣れる日は来るのか、時間を少し早送りしたいけど、死を感じて受け入れることを拒否するとひどいロスに陥る等、精神的に不安定になることは分かっているので、これもちーちゃんの置き土産と思い、太陽が消えた日々をとことん味わうことにしました。
悲しい思いも寂しい思いも、今回は無いけど後悔も、ぜんぶ亡くなった愛する子を感じられる貴重な時間。楽しかった時と同じくらい、悲しいを満喫する。悲しみも後悔も怖がって対峙しないと後遺症が長引くんですよね。ぜんぶぜんぶ満喫するといつの日か、ぜんぶが最高に輝かしく温かい思い出となる。

感じざるを得ない状態にした結果、太陽の消えた日々は、太陽の余韻が数えきれない程の気づきを与えてくれました。
今の私のこと、人生について、仕事について、動物家族について、他者について。
ちーちゃんのことも思い返すと、とことん愛された記憶しかありませんでした。愛してくれてありがとうって旅立つ前に伝えられて本当に良かった。

話は最初に戻りますが、ちーちゃんを荼毘に付した帰り道、歩いているとひらひらとアゲハチョウが横切り、目の前の葉に止まり卵を一つ産み付けてまたひらひらと飛んで行ったのです、
死と生を目の当たりにした出来事でした。
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この後は道路の真ん中で交尾をするカナブンを見つけまたまた生を感じましたが、踏まれそうで危険だったので道路脇に二匹ごと移動させたら、取り込み中だったのでたいそう嫌がられました。

芍薬を贈ってくれた友人によると、蝶は生死や生まれ変わりの象徴らしいのですが、この写真を見た友人はちーちゃんが蝶々に見えたので、アゲハの話をしたら驚いていました。
言われてみると、ほんと、蝶々みたい!この後もしばらくアゲハチョウが目の前に現れることが続きました。喪に服す日々でしたがアゲハチョウが現れるとはっきりくっきりとした生を感じ、死は生でもあることをつくづく実感しました。
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そうそう、不思議な事がありました。こちらはちーちゃんを見送る前の写真ですが、箱にお花を敷き詰めた直後、寝ていた真ん中の小花が立ちだしたんです
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ちーちゃんが栄養剤であるかのように、むくむくと小花が立ちだしてびっくりしました。
実は芍薬も、数日かけてつぼみから開花すると聞いていたのですが(友人がお花屋さんにそう言われた)頂いたその日から目の前で次々と開花していったんです。早送り映像を見ているような不思議な出来事でした。きっとちーちゃんの波動が驚愕の高波動だったのだと思います

匂いについても不思議な事がありました
その4へ続きます

ちーちゃんありがとう その2

2022.07.16.14:27

黒赤い砂けむりの中で軍隊が大きなアンテナの様な見たことのないものを持って進む、この地球とは思えないような不吉でおどろおどろしく地獄のような雰囲気。
そんな風景が見えましたが、こんな所にちーちゃんが居るわけないと見えたものを否定しその日は倒れるように眠りました。

が、翌日以降何度見ても同じ風景が見えるのです。
軍隊が武器を持ってたり集まって会議をしていたり… そんな場所でちーちゃんは軍から離れずいつも軍の近くの木に止まっています。山鳩のような色の体で尻尾はえんじ色。山鳩より大きな鳥に見えます。
戦地なので人間たちもですが、ちーちゃんもものすごく真剣。うちにいた頃のあの笑顔は一切なく、とにかく真剣。
そんな姿が見えるので、泣いていても涙がぴたっと止まるのです
無意識に、呼吸と同じように「ちーちゃん」と呼んだり呟いたりしていた私ですが、こんなに命が懸っている現場で私の声が聴こえたら気が散って大変だと更にぴたっと涙と呟きが止まる。。 泣いて止まる、泣いて止まるの繰り返しでした。

ところで!生まれ変わりと言うより早変わりのちーちゃん。
亡くなってすぐにまた違う地でこの早さで生きている動物を見たことがなかったので、驚きでした。魂や宇宙ってほんと、計り知れないですよね。
亡くなって束の間天国滞在して次の生まれ変わりの準備をして(滞在先から自宅に帰ってパッキングしてすぐ出張するみたいな)、生まれ変わる動物は見たことがありますが、この早さは初めて。随分先まで生まれ変わりが決まっている動物もいて、そんな彼らは私からすると大忙し。自分の時間なんてないし、休む時間も無し。人間や地球に貢献するのみの生涯を繰り返しています。

こんなちーちゃんを見て、ちーちゃんは死地からの救済を専門とする鳥なのではないかと感じました。
私の所にも来てくれたということは、8年前はやはり人生の死地。あの時ちーちゃんと出会ってなかったら、私は生きていなかったかもしれないと心底思います。生きているか死んでいるかもわからない日々だったとその1に書きましたが、お世話になっているある方に、「よくぞ地獄から這い上がってきましたね」と突然言われたことがあり、まさにそんな日々でした。
ちーちゃんは自らの命を省みず、真っ先に死地に突っ込んできてくれたような存在です。もちろんちーちゃんだけでなく、その時の友人知人たちにも助けてもらいました。
ちーちゃん亡くなった今だからこそ、振り返るとそう感じ、いろいろな点が線となり繋がります。

見れば見る程、ちーちゃんが今いる場所にいるのは私たちと同じ人間の軍で、地球上だと感じました。
波動と言うか雰囲気と言うか… 私は今生で戦争を経験したことが無いので、あの異様な雰囲気を違う惑星に思ってしまいましたが、今は分かります。地球上のどこかの戦地です。
戦争がどんなに恐ろしいものか、ちーちゃんと繋がると分かります。

ちーちゃん火葬の前日。
外出していると、唯一ちーちゃんのことを話せた友人が「今から会えない?」と連絡をくれたので会ったのですが(連絡があった時にその想いに駅のホームで涙しました)、帰り際に「これ、ちーちゃんに」と芍薬の立派な花束をくれたのです。
豪華で美しく、元気の出るピンク色。旅立って火葬まで、お花を買う気力さえなかったので本当に有り難かった
友人によると、芍薬にするつもりはなかったけど、元気の出そうなパンチのある明るい色と思い、その場で決めたそうです。

そして。。。 別れた後友人から「芍薬にこんな由来があった!」と写真が送られてきました。
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戦争!!!治癒!!!
ちーちゃんだ!ちーちゃんだ!間違いなくちーちゃんだと号泣
芍薬を選んだ友人もとても驚いていましたが、きっと既に決まっていたようにそこに芍薬があって、とても自然に、当たり前のように選んでくれたのだと思います。

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ちーちゃんの象徴、芍薬

こうして頂いた花束の一部をちーちゃんのベッドにして火葬へ向かいました。
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その3へ続く

ちーちゃんありがとう その1

2022.07.15.15:12

ようやくご報告できる心境になりました。
6月8日水曜日、午後13時過ぎ、ちーちゃんは岩津家から次の世界に旅立ちました。
今年の10月で9歳を迎える予定でした。

2014年にアニマルコミュニケーターとして開業しましたが、前職からアニマルコミュニケーターになるまでの人生の死地とも言える生きているか死んでいるかさえわからないようなしんどい毎日から私を救い出してくれたちーちゃん。
ちーちゃんが旅立ったと言うことは、間違いなく今の私は私の道を、安全に二本足でしっかりと歩いているのだと思います。
そして一つの旅が終わり新たな旅に突入する。
死地で私を見つけ、助け出し、ヘロヘロだった私を介抱し、足元おぼつかずふらふらしている私を軌道に乗せて旅立った。
ちーちゃんとの8年間を振り返るとそう感じます。

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ちーちゃんの死は突然で、8日の朝に急変しその6時間後に旅立ちました。
急変してすぐに病院へ行く準備をしましたが、もう間も無いというささやきの様な感覚があり、旅立ちが目の前なら病院へは行かず家でちーちゃんを看取ろうと思い、準備を止めてちーちゃんを手に包みちーちゃんを全身で感じようと死へ向かう準備に臨みました。

手のひらから伝わるちーちゃんの鼓動。
あんなにもしっかりと鼓動を感じたのは初めてでした。あぁ、生きてる。生きてること、存在していることを信じ、感じたかった。この存在している1秒1秒がどんなに愛しくどんなにありがたい事か。
ちーちゃんと出会った時の事、出会ってから今までの事、思い出話をちーちゃんは私の手の中でうとうと笑顔で聞いてくれていました。
「ちーちゃん、愛してくれてありがとう。ひとつだけお願いを聞いてほしい。無理はしないでほしい。私の為に無理して頑張ってるのを見ること程辛いことは無いから、ちーちゃんのタイミングで逝って欲しい。」これにもちーちゃんは笑顔。しっかりと伝わっていることがわかりました。

と、突然ぱっちり目が開きむくっと起き上がり、「ぼくの名前を忘れないでね。ぼくの名前はちーちゃん。」
びっくりしたのと同時に、私を笑わせようとしていることに気付き崩れ落ちるように全身の力が抜け涙涙。
ユーモアに答えようと涙でぐちゃぐちゃのぼろぼろでしたが、「何ゆーとん、ちーちゃん!私そんな忘れるような歳違うし!」と言うのがやっと。この言葉は間違いなく遺言と察したのでこれ以上は涙で言葉が続かず。

ちーちゃんはお迎え当初つけた私の名づけが気に食わず、「ぼくはちーちゃんです」と言ったんです。育てのお父さんがつけてくれた名前だそうです。もっと男らしく勇ましい名前にしたかったけど渋々ちーちゃんにしたという思い出です。

この後一旦持ち直したので、ちーちゃんに病院に行くか聞いたんです。
ちーちゃんはお出かけが大好きで、爪切りや嘴カットする動物病院でさえも大好きだったんです。病院の先生も大好きでした。
「いこっかな…」とちーちゃんが答えたのと、移動しても大丈夫そうな感じだったので病院へ向かいました。徒歩もバスもいつも通りご機嫌さんで歌ったり踊ったり。
ですが病院に到着し診察の順番が来て、診察室に入って先生と話していると、大好きだった先生に最後の挨拶を終えて力が抜けたように容体が急変しそのまま逝ってしまいました。

早朝の急変から、私としっかりお話をして、好きだったお出かけもして、大好きだった先生にも挨拶して、ちーちゃんも私も思い残すことなく、ちーちゃんらしい旅立ちだったように思います。
急な事でしたが後悔のない看取りはこんなにも楽なのかと感じています。
後悔のない看取りは幼少期以来で、大人になってからは後悔しかないと言っても過言ではない看取りばかりで、自分を責めて責めて責め抜いて、、、でした。

私は良くも悪くも動物たちといつでもどこでも繋がり話せるので、天国の動物の気持ちも分かり、私自身が悔やんで自分を責めていることがどんなに彼らにとって辛い事かも分かります。
分かるけど自分を許せない。誰も責めてないし怒ってないけど、自分自身を責めずにはいられない。頑固ですよね… 彼らは笑っていて欲しい、自分自身を許してほしいと願っているのにその願いをはねのけて自分の気持ちを優先し続ける。今思うと自分の事しか考えていない非常に頑固でわがまま。
これらが今回は無いのです

無いから自分を責めることはせず、ただただちーちゃんに感謝、ありがとうの気持ちしか出てきません。
悲しい寂しいは最初だけで、今は思い出すと涙が流れるけど、感謝の涙なんです。感謝ってなんでこんなに涙が溢れるんでしょうか???
ちーちゃんには感謝しかないから、困ったことに涙涙なのです。

あとはバランス。突然の死で、椅子の脚が1本無くなったような感覚。
4本脚の椅子の1本が折れたら座れませんよね。3本脚で座れるように、脚の位置を変えようと必死でバランスを取って必死で生きているような日々。心と日常もぽっかり何か抜けたような感覚もあり、我に返るとぼーっとしている自分に気付く。普段は絶対にすることのない忘れ物やミス連発もあり、これは時間と共に減ってきています。

話は戻りますが、病院でちーちゃん旅立った後、大泣きしながら病院から家まで上り坂を汗だくでマスクしたまま歩いて帰ったので、自宅について我に返ると酸欠でえらいことになりました 
そしてこの日はセッションの予約があり、延期させてもらおうかと一瞬考えましたが、ちーちゃんはそれを望んではいないと感じたので予定通りお仕事をし、翌日からも延期せず毎日仕事を全うしました。
働くことで、寂しさや虚無感にどっぷり浸ることなかったことは本当にありがたい事でした。
ただ、数人の友人にしかちーちゃんのことは言えませんでした。連日仕事等でZOOMや対面で人に会うことが続いたので、ちーちゃんの話が出ると感情的になり仕事にならないと思ったので、話題に出ても大丈夫な心持になった時にこうしてブログなどでお知らせしようと思いました。
お会いした時にちーちゃん元気ですか?等と聞いて下さった方々、あの時言えなくてすみませんでした

またまた話は前後しますが、長い長い8日という1日が終わった夜。
あれ?そういえばちーちゃん全然姿見えないけど、天国で楽しくやってるかな?とちーちゃんと繋がってみたんです。
と、、、黒赤い砂けむりの中、軍隊が大きなアンテナの様な見たことのないものを持って進んでいたのです。
え!?ちがう惑星???なにこれ?どこ??とびっくり。

話が長くなりすぎたのでその2へ続きます

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アニマルコミュニケーターを始めて忙しくなってきた頃にNYのフォトグラファージェフに撮ってもらったお気に入りの写真。両手に亀と肩にインコ
最初はHPもブログもSNSもしておらず、口コミで広がりお仕事を頂けるようになって毎日が新鮮で嬉しくてキラキラしてたね、ちーちゃん!
プロフィール

岩津麻佳

Author:岩津麻佳
神戸でアニマルコミュニケーションしてます


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