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ライオンのクリスチャン

2015.02.22.12:38

2/13のフェリシモさん猫部ブログでお話した、野生に戻したライオンに再会するというドキュメンタリー。
猫部の方が探してきてくれました。
映像を見ていると、「会いたかった、会いたかった!」という声が皆さんにも聞こえるのではないでしょうか。
映像はこちら→ http://youtu.be/mZFqz7altiQ

パワーストーン

2015.02.18.21:26

石は私たちの想像を超える情報量と力を持っています。
そして、鳥のようにお喋りさんです(*^_^*)

石に触れると、石を見つめると、いろいろな世界に連れて行ってくれます。
その石が何千年、何億年といた地、宇宙、未来へ…

ブレスレットやネックレス等石のアクセサリーは、持ち主の疲れやマイナス要素を受け取ってくれることがあり、石も疲れてしまうので浄化(人間と同じくリフレッシュ)が必要です。
そして、人と同じように言葉にして感謝を伝えること。
石は喜んであなたに愛情を注いでくれます。

石との相性、状態も見れます(*^_^*)

*写真のネックレスは私の相棒モルダバイト

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動機の誠実さ

2015.02.15.17:59

「一人の心は、大宇宙にあっては、おそらく小さな存在にすぎないであろう。しかし、その人が誠実でさえあれば、天地も動かしうる」
「動機の誠実さ」                          内村鑑三「代表的日本人」より

この通りだと思います。
天地も動かせるということは、人だって動物だって誠実な心さえあれば、誠実さが触れ合えば、お話だってできるのです。
体調だって変わるのです(ヒーリング)。

人の思いは何よりも早く、思ったと同時に伝わります。
特に純粋な動物には必ず伝わっています(悟られている?)

スピリチュアル・霊的な世界・宇宙を日々に取り入れると、アンテナが放射状に伸び、人生がより豊かに、そしてスムースに進み始めます。滞りが無くなります。
平面から立体、多次元というイメージです。 

スピリチュアル、宇宙、神、霊等々その言葉にはなぜか近寄りがたい雰囲気があり、こうして使用している私でもしっくりきませんが(それに代わる言葉をずっと探してます)、宇宙の力は確かなものです。

自分の心の声を聴く、勘を信じることが最も大切で、スピリチュアルな世界への入り口であり全てだと思います。

春~夏には、アニマルコミュニケーション入門編を計画しています。
一人でも多くの方が、動物、植物、魂、自分自身とお話できたら、平和な世界がぐんと広がると信じています。

今日は、先日のブログ「猫の神性」 http://iwatsuasaka.blog.fc2.com/blog-entry-27.html の鎌田東二さんの講演会に行き、内村鑑三さんのことを知ったのでここにアップしました。



岩合さん

2015.02.09.20:34

岩合光昭さんを知ったのは、この写真集。
ホッキョクグマが好きで好きでたまらない時に、書店で見つけた。
毎日毎日何度も見ては、毎回しあわせな気持ちになった。

岩合さんの写真や映像を見ていると、動物の喜びや幸せが見えてくる。

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猫の神性

2015.02.03.15:29

鎌田東二さん(京都大学こころの未来研究センター教授)の著書、「神道のスピリチュアリティー」より、こんな一節があると友人が教えてくれました。

わたしの家では、生まれつき眼球のない猫を飼っている。オウム真理教事件のあった八年前、近所のゴミ捨て場にビニール袋に入れて5匹の生れたばかりの猫が捨てられていた。それを拾ってきて、育ててきたが、やがてどの子猫も目が悪いか眼球を持っていないことがわかった。獣医さんは「この子猫たちは育ちませんよ」と諭すように言った。

確かに獣医さんが言ったように、その内のオス猫三匹は若くして死んでしまった。だが、奇跡的に二匹のメスの三毛猫は生き残った。眼球はあるが、片目が白濁して見えない「モモ」は貰われていって今も元気に生きている。そして生まれつき眼球のない「ココ」だけがわが家に残った。

しかし、目がなくとも家の中で不自由することはない。触覚や聴覚など、視覚とは異なる感覚器官がとても繊細に発達し、その上、人の顔色をうかがうということもないので(できないので)、まったく純真無垢である。「ココ」は捨て猫ではあるが、小さい頃からいじめられたことが一度もない。その警戒心も恐れも不安も持たない状態が、どれほど優しさと素直さと平和に満ちた、柔らかな世界であるかを教えられる。

目のある猫は、視覚判断によって「敵」を認知し、威嚇したり、逃げたり、防衛したりする。しかし目のない「ココ」には一切そういうことがない。彼女には「敵がいない」のだ。そして、敵対するものもない。「ココ」は威嚇することも知らず、逃げることも、防御することもしない。ただひたすら軟らかく、静かで、親密である。威嚇する他の猫にも擦り寄って行って、相手が嫌がっても、根負けして諦めて威嚇するのを止めるまで擦り寄ってゆくのを止めない。そして終には、一緒のバスケットの寝床の中に入って肌を擦り合わせて眠るまでになる。

その姿は貴く、気高さと神性を感じる。「無為自然」を生まれながらに地で行く天然のタオイストであるかのようだ。初めは威嚇して決して近寄ることのなかったもう一匹のメスの老描「チビ」が一七歳で死んでゆく時、その最期を看取り、老衰して痩せ細った「チビ」のからだをひたすら舐め続けたのが「ココ」だった。その姿を涙と崇高な気持ちなしに見ることはできなかった。心からその姿に手を合わした。

まったく敵意を持たない存在こそが「敵」を作らずに生きることができることを「ココ」はわたしに教えてくれる。もっとも弱きものが。知らず知らずのうちにもっとも強き者であったという生の逆説を彼女は告げている。

「ココ」という名の八歳のメス猫に、五十二歳の人間のわたしは、いつも自らの愚かさと野蛮さを思い知らされているのだ。わたしにとってこの「ココが」生の導師であり、「グル」なのだ。

動物の気高さと品格を人間は本当に真剣に見習うべきであると心から思う。
プロフィール

岩津麻佳

Author:岩津麻佳
神戸でアニマルコミュニケーションしてます


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